人は人と生きてこそ人

子供の頃、介護は『リアルおままごと』だった私には、介護なんて当たり前の日常すぎて『介護士』なんて仕事は、進路を決める時にも頭をよぎることすらありませんでした(笑)

それから数十年…人生のどん底で、仕方なく介護職になった私が、こんなにも介護の魅力に引き込まれるなんて…

寝たきりのお爺ちゃんの布団の中で隠れん坊していた時には、夢にも思わなかった感動の毎日が、今ここにありますヾ(*´∀`*)ノ

サヨナラおじいちゃん(1)


サヨナラは、突然やってくると知った中学2年生…

季節はいつ頃だったのだろう?




『おじいちゃん、咳してたから痰とってあげてね!』

大きなアコーディオンカーテンで仕切られた古い台所から母の声だけがした。



夕食の味噌汁の鍋がカタカタと、当たり前のように音を立てていた…



隣の部屋からは、教育学部への入試をひかえ練習している 姉のピアノの音が響いていた。




いつも通りカバンを居間のテレビの前に無造作に置いて

いつも通りおじいちゃんが寝ている部屋の扉を開けた



いつも通りのはずのおじいちゃんは

いつも通りではなく、呼吸をしていなかった…



『おじいちゃん、息してない!救急車呼んで!!!』


大きな声で叫んだ後に、必死に痰を吸引した



心臓に耳を当てると、まだゆっくりと動いているのがわかった。



人工呼吸の仕方をテレビ番組でみたのを思い出した…

開きっぱなしのおじいちゃんの口に、大きく口を当てて息を吹き込むと


胸のあたりで痰がゴロゴロと音をたてた…痰の吸引を繰り返しながら

救急車を待つ時間が、永遠に感じた…



その日の夕方、おばあちゃんは出かけていて留守だった




中学2年生の私は、その時どんな顔をしていたのだろうか?





救急隊員の後について、母と一緒に救急車へ乗り込むことになった…


家に残り、父や祖母に連絡を取ることになった姉が、音がするほど強く

私の背中を叩いた





『しっかりしなさい!』




何年かして大人になった時に、姉が言っていた。 

『あの時、あんた死んじゃうかと思ったよ…そんな顔していた…』



初めて乗る救急車の中で、なかなか道をあけてくれない道端の車や

救急車の中を覗こうと背伸びする、信号待ちのおばさんに




怒鳴りつけたい気持ちでいっぱいだったのを覚えている…






その日から、三日間

病院のベッドで過ごしたおじいちゃんは



13年間過ごした居間の隣の部屋のベッドには、もう二度と戻って来なかった。













おばあちゃんは、スーパーウーマン(2)


おばあちゃんが、私におじいちゃんの経管栄養作り方を教えてくれたのは、小学校何年生の時だっただろうか? 



今の時代みたいに、紙のパックに入った経管栄養を開けて入れておしまいではなく
カルシウムは、カルシウム、塩分は、塩分と軽量スプーンで計り調合していた。



ポットのお湯で赤ちゃんの粉ミルクみたいなメインの粉を溶かすと、甘い匂いが立ち込めた。



鉄みたいな味がして、舐めてもあまり美味しくなかったのを覚えている。



それをシャカシャカと、泡立て器で
溶かしていると、気分はケーキ屋さんだった(笑)




おばあちゃんは、私に経管栄養やら
痰の吸引を任せると、仕事にしていた着物作りをせっせとしていた。




隣の部屋からおばあちゃんが、大きな断ち切りハサミで着物を切る音が大好きだった。





私にとって介護は、『介護』なんて言葉すら存在せず



私にとって介護は『リアルおままごと』だった。



つづく…

おばあちゃんは、スーパーウーマン

幼稚園を休んでばかりだった私は、一ヶ月の半分しか友達と顔を合わせなかった。


一度休めば何日も熱が下がらなかったこともあったけれど、ズル休みもした




幼稚園へ行っても友達と仲良くするのが苦手で、私の落ち着く場所は鳥小屋の中かうさぎ小屋の中だった。



格子の金網の間から空を見上げているのが大好きだった。

雨の日はトタンの屋根にトンタッ トンタッ トンタッ とあたる雨の音を聞いていた。



目を閉じながらうさぎ小屋の隅っこにうずくまっていると、いつも足元にくんくんと鼻先を押しあててくる薄茶色の大きなうさぎが、私の大の仲良しだった。小鳥の羽音と、うさぎたちの息づかいを感じると、友達といるよりも安心できた。




うさぎや、小鳥と一緒にいるのと同じくらい安心できた場所は、おばあちゃんと過ごす時間だ



幼稚園を休むたびに、私はおばあちゃんと過ごしていた。



時々私がズル休みをすると、知ってか知らずか私を連れ

おばあちゃんは、自宅介護だったおじいちゃんの病院受診へ出かけた。



家族介護では、痰の吸引や、導尿といった医療的ケアも許されるのだが、おばあちゃんはとにかく何でも自分でやっていた。最後には、鼻から経管栄養の管まで入れ替えられるようになっていた。おばあちゃんは、まさにスーパーおばあちゃんだった。



おばあちゃんが看護師さんから指導を受ける様子を、ベッドの脇からよじ登るようにしながらいつもジッと眺めていた。




大人になり介護の仕事に就き、それをこなしていたおばあちゃんの凄さを改めて知った。



当たり前のように説明を聞き、当たり前のようにその日から淡々と新しく身につけた事をこなしていくおばあちゃんは、まるで技術の習得を楽しんでいたようにも見えた。



介護をどう感じ、どう捉えるか

私は、あの頃おばあちゃんから教えてもらった気がする。





つづく…