人は人と生きてこそ人

子供の頃、介護は『リアルおままごと』だった私には、介護なんて当たり前の日常すぎて『介護士』なんて仕事は、進路を決める時にも頭をよぎることすらありませんでした(笑)

それから数十年…人生のどん底で、仕方なく介護職になった私が、こんなにも介護の魅力に引き込まれるなんて…

寝たきりのお爺ちゃんの布団の中で隠れん坊していた時には、夢にも思わなかった感動の毎日が、今ここにありますヾ(*´∀`*)ノ

おばあちゃんはアルツハイマー(4)最後の言葉と交通事故


息子が生まれて
私は、初めての子育てに慌ただしく奮闘していた。




実家から2時間ほどかかる場所に暮らしていた私は、おばあちゃんの事を気にしつつ、なかなか実家にも帰れずに日々を精一杯過ごしていた。


夜泣きする息子の泣き声をうるさいと本気で怒鳴りつける旦那さんだったから
あの頃の私にとって、アルツハイマーのおばあちゃんや、介護する母を支える余裕はゼロに等しかった気がする…





『さあちゃん??』




私の名を呼び、嬉しそうに電話をしてくるおばあちゃんと電話口で話すことくらいしか出来なかった…おばあちゃんは決まったように同じ会話を何度かしては電話を切った。




『元気にしている?風邪はひいていない?また遊びにきてね!おばあちゃんは元気だから心配しないでね!』




おばあちゃんは、そんなに変わらずどうにか元気だと
自分に言い聞かせていた。母からは、イライラした口調で愚痴の電話が時折来ていた。



おばあちゃんは、一週間に1回デイサービスに通い始めていた。母はその日を楽しみにしていた。もともと介護には向いていない性格の母にとっては、余計に辛い日々だったのだろうと、今は感じることができる。



息子が1歳になった頃、旦那さんの仕事の関係で、私たちは私の実家から30分ほどの場所へと引っ越すことになり、私は息子を連れて実家に帰ることが増えていた。



おばあちゃんは、嬉しそうにやっとお座りが出来るようになった息子を抱いたりあやしたりしてくれていた。


ある日、いつもの様に実家へ遊びに行き10ケ月の息子を少し背の高い椅子に座らせてあやしているおばあちゃんに、『トイレへ行って来るから、見ていてね。と息子のおもりを任せて3分ほど側を離れた。



部屋に戻ると、息子は支えも無い椅子にちょこんと一人で座っていて、おばあちゃんの姿は無かった。驚いて、息子を抱き上げてからおばあちゃんを探すと、おばあちゃんは、息子の存在を忘れて隣の部屋の鏡台の前でお化粧をしていた。



『さあちゃん、来たの?』



笑顔で言うおばあちゃんに腹が立ち、私は、おばあちゃんが覚えていない話について、おばあちゃんを叱ってしまった…その頃、夜は帰りも遅く、休みは一人で何処かへ出かけ
てしまう旦那さんと喧嘩が耐えなかった…”頑張らなきゃ、頑張らなきゃ”と自分に言い聞かせる毎日で、おばあちゃんの状態を受け入れる余裕がなかった…



『ゴメンネ…』



覚えていなくても、認知症である事を自分で理解していたおばあちゃんは、私に謝ってくれた。おばあちゃんは、私の事を目に入れても痛くないほど愛してくれていたから、私に叱られることが何より辛かったと思う…




介護士になった今、あの頃に戻れるならば
おばあちゃんにしてあげたいことが沢山ある。



認知症が辛いのではなく、それ以上に、そのままを受け入れてもらえなかった事が
おばあちゃんにとってどれほど辛かったか、仕事をしながら毎日考えている…




おばあちゃんが、交通事故に合い
やり取りができない状態になってしまうと分かっていたらよかった。



でも人生は、未来を知ることは決して出来ないんだ…





11年前の1月7日…おばあちゃんは交通事故に合い、アルツハイマーではなく

脳挫傷で、言葉を沢山失うことになるなんて考えてもいなかった…



つづく…

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