人は人と生きてこそ人

子供の頃、介護は『リアルおままごと』だった私には、介護なんて当たり前の日常すぎて『介護士』なんて仕事は、進路を決める時にも頭をよぎることすらありませんでした(笑)

それから数十年…人生のどん底で、仕方なく介護職になった私が、こんなにも介護の魅力に引き込まれるなんて…

寝たきりのお爺ちゃんの布団の中で隠れん坊していた時には、夢にも思わなかった感動の毎日が、今ここにありますヾ(*´∀`*)ノ

おばあちゃんはアルツハイマー(2)



この写真は、娘が2歳、息子が5歳を過ぎた頃の物だろうか?


おばあちゃんは、丁度この頃入院先の病院で亡くなったんだっけ…







上の子が生まれたのは、平成14年の7月


その夏は、色々な意味で私にとって忘れられない夏になった。




『かなり下りてきているから、気をつけてね、』




産婦人科の先生に気をつけるようにと散々言われた私は、予定日の2ケ月前に実家へ里帰りを決めた。張りが強かったり、貧血があったりで、大きくなり始めたお腹を抱えてビクビクしながら過ごしていた。一度流産もしていたので、とにかく神経質になっていた気がする。




久しぶりに実家へ帰ると、以前にもましてギクシャクしている母とおばあちゃんの関係を感じた。



おばあちゃんは、一枚のパンツを何時間も洗濯したり
夜中に寝れないと強く訴えてきたり

あんなに好きだった踊りにも、あまり足を運ばなくなっていた




お腹が重たくて寝付く事ができずにいた夜中の2時すぎ…

私が寝ていたお座敷のから紙が、ものすごい勢いで音をたてて大きく開いた。



『おばあちゃんが、そんなこといつ言ったっていうの???
  皆して、そんなこと言うなんて酷いじゃないの!!!!』



おばあちゃんの表情は険しくて、小さい頃から私が知っているおばあちゃんとは
全く違う表情でそこに立っていた。






『おばあちゃん、誰も何も言ってないよ!まだ夜中じゃん!!私は、赤ちゃん産むために帰ってるんだよ!!覚えてる???』




少し、ハッとしたように、おばあちゃんは
夜中にゴメンネとつぶやくと、自分の部屋へ帰っていった。






何度も、何度も考えたことがある…



今、あの頃の自分に戻れるのなら…






介護士として、私はどんな風に
おばあちゃんに関わることが出来るのだろうかと…



つづく…


おばあちゃんはアルツハイマー(1)


13年間在宅介護だったおじいちゃんが亡くなり
介護生活に幕が降りてから8年後、 


自分の人生を楽しもうとしていたおばあちゃんは

アルツハイマーと診断された





私と一緒に脳外科を受信し、アルツハイマーと診断される1年前





出産を控えて里帰りをしていた姉から、電話が来た。

『おばあちゃん、なんかおかしいよ』



大好きなおばあちゃんが、おかしいはずがない。


その頃、離れた場所に暮らしていた私は、姉の言葉に腹が立ち、年なんだから物忘れなんて当たり前だ、おばあちゃんに優しくしてあげろと強い言葉を浴びせた




その頃おばあちゃんは
私に、しょっちゅう電話をかけてきた。



『さあちゃん、元気?別に用事はないの。おばあちゃんは、元気だからね。

               心配しないでね。



介護士として、経験を積めば積むほど、あの頃のおばあちゃんの電話が、おばあちゃんからのSOSだったのだと感じるようになり、思い出しては胸が痛くなる。





それから一年ほどして、始めての出産で私が大きなお腹で里帰りした時には、
おばあちゃんの表情や言動は大きく変化していた。



朝食の席で、朝ドラの主人公の名前の話になり母が先にその名前を口にすると
おばあちゃんは、茶碗をテーブルに強く叩きつけた。




その日が初めてではなかったらしく、母は『もうこんなの嫌!!!!
大きな声で泣き叫ぶと、外へ飛び出して行った…



今にも生まれそうな大きなお腹をおさえながら私は、母を追いかけなだめてから
おばあちゃんの所へ戻り、食器を片付けた。




おばあちゃんの表情は堅く、昔のようにあふれるような笑顔は消えてしまっていた。



(まだ生まれないでね…)





一度流産して、2年以上してやっとできた赤ちゃんをお腹に宿しての里帰り…


出産までの2ケ月間は、私がおばあちゃんや家族とぶつかり合い向き合うことになる日々のスタートラインだった。



つづく…


サヨナラおじいちゃん(2)~愛の形~


おじいちゃんの乗る救急車から見えた景色は鮮明に覚えているのに、

その後のことが、どうしても思い出せない。



病院へ運ばれた後、おじいちゃんの危篤状態が数日間続いたのは、覚えている…
呼吸が停止した時の青白いおじいちゃんの顔も、今でもよく覚えている。



私は、部屋に閉じこもりがちになり元気が無かったらしいが
そこの部分は、すっかり記憶から抜け落ちているから不思議だ…






人は、自分の心を究極な状態から守らなければならない時には
記憶を失くすことができるのだろうか?






おじいちゃんの呼吸が停止している事を発見してから、おじいちゃんが亡くなる日までの間に私が一番鮮明に覚えているのは、おばあちゃんの後ろ姿だ。




私は、中学生になってもほぼ毎日、おばあちゃんとお風呂に入っていた。





おばあちゃんは、いつも、手の上で洗顔用の石鹸をよく泡立て、時間をかけて顔を洗っていた…少し鼻につく様な香りがするその石鹸すら、今になれば懐かしい



おじいちゃんが亡くなった夜、おばあちゃんは
いつもより長く、いつもより丁寧に顔を洗っていた





湯船につかりながらおばあちゃんの背中を見ていたら

おばあちゃんの背中がかすかに震えていて、泣いているのだとわかった。 



 



おばあちゃんには、おじいちゃんではなくて結婚したい人がいたと聞いたことがある。

その人は戦争に行くことになり、結婚の夢は叶わずに親の勧めでおじいちゃんと結婚したそうだ。



『おじいちゃんは、本当に優しかったから。』




ポツリとつぶやいたおばあちゃんの言葉を、今更思い出し、ふと気付いたことがある。

『愛』には様々な形があるけれど、昔の人達は与えられた状況と相手を受け入れ共に生きる人生のスタイルがそこにあったのだと…




『寄り添う』なんて言葉をわざわざ使わなくても、いい時も悪い時も共に歩み、時を重ねれば、最後に見えて来る『愛』の形が、そこにあるのかもしれない。




おじいちゃんの、命の終わりと

おばあちゃんの涙



今、もう一度思い出してみている…