11年前の1月7日…おばあちゃんは交通事故に合い、アルツハイマーではなく
脳挫傷で、言葉を沢山失うことになるなんて考えてもいなかった…
年末から年明けにかけて、息子の友達から感染しノロイルスと診断され、家族で実家へ帰ることも出来ずに正月の一週間を布団の中で過ごしていた。
やっと熱が下がり、発症から一週間以上が経過した1月7日
私の母親が、あれやこれやと大きな袋に食べ物を詰め込み、古い貸家を訪ねて来てくれた。玄関口で息子が何年かぶりに会った来客に感動の再会でも果たすかのように喜んで飛び回っている光景が、なぜか目に焼きついている。
不意に鳴りだした携帯の着信を見ると、実家の電話番号が表示されている。母が目の前にいるということは、電話をかけてきているのは誰だろうか?おばあちゃんはアルツハイマーが進行し始めてから、めったに電話をかけてこなくなっていた。正しく言えば、かけられなくなり始めていたのだろう。
『さあちゃん?おばあちゃんよ!元気?』
電話口から、晴れ晴れとしたおばあちゃんの声が聞こえてきた。スラスラと言葉が出てくるおばあちゃんの声を久しぶりに聞いた気がした。
『正月遊びに行けなくてごめんね、また行くからね!』
その頃、認知症の症状が進行していたおばあちゃんと息子を遊ばせる事にためらいを感じていた私は、なんだか後ろめたい気持ちで、おばあちゃんに謝った。
『そんなこと気にしなくていいから。さあちゃん風邪ひいたんだって?子供も大丈夫?おばあちゃんは大丈夫だから、さあちゃんは自分の体に気をつけて、無理しないで頑張るんだよ!また、元気な顔見せにおいでね!』
おばあちゃんがアルツハイマーだということが、悪い夢だったのではないかと思える程に、おばあちゃんの声にはおばあちゃんらしい張りがあり、元気だった。
母が実家から連絡してきたのは、それから数時間後だった。
母が私の所から帰宅すると、家の中におばあちゃんの姿はなく、
直ぐに警察と病院から電話がかかってきたらしい。
おばあちゃんは、一週間かけて書きあげた友人宛てのたった一枚の年賀状を
小学校前のポストへ投函するために、家から5分ほど離れた信号を赤だというのに横断して、車にひかれてしまった…
手に握り締めていた年賀状のおかげで、直ぐに連絡先が分かったのだという。
おばあちゃんは、私へ電話してそのまま年賀状を出しに行き車にひかれた。
元気なおばあちゃんの声を聞けるのが、あの電話が最後になるなんて考えもしなかった…
つづく…