介護の『介』を愉快の『快』に

子供の頃、介護は『リアルおままごと』だった私には、介護なんて当たり前の日常すぎて『介護士』なんて仕事は、進路を決める時にも頭をよぎることすらありませんでした(笑)

それから数十年…人生のどん底で、仕方なく介護士になった私が、こんなにも介護の魅力に引き込まれるなんて…

寝たきりのお爺ちゃんの布団の中で隠れん坊していた時には、夢にも思わなかった感動の毎日が、今ここにありますヾ(*´∀`*)ノ

おばあちゃんはアルツハイマー(5)最後の言葉と交通事故~後編~



11年前の1月7日…おばあちゃんは交通事故に合い、アルツハイマーではなく
脳挫傷で、言葉を沢山失うことになるなんて考えてもいなかった…  






年末から年明けにかけて、息子の友達から感染しノロイルスと診断され、家族で実家へ帰ることも出来ずに正月の一週間を布団の中で過ごしていた



やっと熱が下がり、発症から一週間以上が経過した1月7日



私の母親が、あれやこれやと大きな袋に食べ物を詰め込み、古い貸家を訪ねて来てくれた。玄関口で息子が何年かぶりに会った来客に感動の再会でも果たすかのように喜んで飛び回っている光景が、なぜか目に焼きついている




不意に鳴りだした携帯の着信を見ると、実家の電話番号が表示されている。母が目の前にいるということは、電話をかけてきているのは誰だろうか?おばあちゃんはアルツハイマーが進行し始めてから、めったに電話をかけてこなくなっていた。正しく言えば、かけられなくなり始めていたのだろう。



『さあちゃん?おばあちゃんよ!元気?』




電話口から、晴れ晴れとしたおばあちゃんの声が聞こえてきた。スラスラと言葉が出てくるおばあちゃんの声を久しぶりに聞いた気がした。




『正月遊びに行けなくてごめんね、また行くからね!』




その頃、認知症の症状が進行していたおばあちゃんと息子を遊ばせる事にためらいを感じていた私は、なんだか後ろめたい気持ちで、おばあちゃんに謝った。




『そんなこと気にしなくていいから。さあちゃん風邪ひいたんだって?子供も大丈夫?おばあちゃんは大丈夫だから、さあちゃんは自分の体に気をつけて、無理しないで頑張るんだよ!また、元気な顔見せにおいでね!』





おばあちゃんがアルツハイマーだということが、悪い夢だったのではないかと思える程に、おばあちゃんの声にはおばあちゃんらしい張りがあり、元気だった。







母が実家から連絡してきたのは、それから数時間後だった。
母が私の所から帰宅すると、家の中におばあちゃんの姿はなく、



直ぐに警察と病院から電話がかかってきたらしい。





おばあちゃんは、一週間かけて書きあげた友人宛てのたった一枚の年賀状を
小学校前のポストへ投函するために、家から5分ほど離れた信号を赤だというのに横断して、車にひかれてしまった…




手に握り締めていた年賀状のおかげで、直ぐに連絡先が分かったのだという。




おばあちゃんは、私へ電話してそのまま年賀状を出しに行き車にひかれた

元気なおばあちゃんの声を聞けるのが、あの電話が最後になるなんて考えもしなかった…





つづく…












おばあちゃんはアルツハイマー(4)最後の言葉と交通事故


息子が生まれて
私は、初めての子育てに慌ただしく奮闘していた。




実家から2時間ほどかかる場所に暮らしていた私は、おばあちゃんの事を気にしつつ、なかなか実家にも帰れずに日々を精一杯過ごしていた。


夜泣きする息子の泣き声をうるさいと本気で怒鳴りつける旦那さんだったから
あの頃の私にとって、アルツハイマーのおばあちゃんや、介護する母を支える余裕はゼロに等しかった気がする…





『さあちゃん??』




私の名を呼び、嬉しそうに電話をしてくるおばあちゃんと電話口で話すことくらいしか出来なかった…おばあちゃんは決まったように同じ会話を何度かしては電話を切った。




『元気にしている?風邪はひいていない?また遊びにきてね!おばあちゃんは元気だから心配しないでね!』




おばあちゃんは、そんなに変わらずどうにか元気だと
自分に言い聞かせていた。母からは、イライラした口調で愚痴の電話が時折来ていた。



おばあちゃんは、一週間に1回デイサービスに通い始めていた。母はその日を楽しみにしていた。もともと介護には向いていない性格の母にとっては、余計に辛い日々だったのだろうと、今は感じることができる。



息子が1歳になった頃、旦那さんの仕事の関係で、私たちは私の実家から30分ほどの場所へと引っ越すことになり、私は息子を連れて実家に帰ることが増えていた。



おばあちゃんは、嬉しそうにやっとお座りが出来るようになった息子を抱いたりあやしたりしてくれていた。


ある日、いつもの様に実家へ遊びに行き10ケ月の息子を少し背の高い椅子に座らせてあやしているおばあちゃんに、『トイレへ行って来るから、見ていてね。と息子のおもりを任せて3分ほど側を離れた。



部屋に戻ると、息子は支えも無い椅子にちょこんと一人で座っていて、おばあちゃんの姿は無かった。驚いて、息子を抱き上げてからおばあちゃんを探すと、おばあちゃんは、息子の存在を忘れて隣の部屋の鏡台の前でお化粧をしていた。



『さあちゃん、来たの?』



笑顔で言うおばあちゃんに腹が立ち、私は、おばあちゃんが覚えていない話について、おばあちゃんを叱ってしまった…その頃、夜は帰りも遅く、休みは一人で何処かへ出かけ
てしまう旦那さんと喧嘩が耐えなかった…”頑張らなきゃ、頑張らなきゃ”と自分に言い聞かせる毎日で、おばあちゃんの状態を受け入れる余裕がなかった…



『ゴメンネ…』



覚えていなくても、認知症である事を自分で理解していたおばあちゃんは、私に謝ってくれた。おばあちゃんは、私の事を目に入れても痛くないほど愛してくれていたから、私に叱られることが何より辛かったと思う…




介護士になった今、あの頃に戻れるならば
おばあちゃんにしてあげたいことが沢山ある。



認知症が辛いのではなく、それ以上に、そのままを受け入れてもらえなかった事が
おばあちゃんにとってどれほど辛かったか、仕事をしながら毎日考えている…




おばあちゃんが、交通事故に合い
やり取りができない状態になってしまうと分かっていたらよかった。



でも人生は、未来を知ることは決して出来ないんだ…





11年前の1月7日…おばあちゃんは交通事故に合い、アルツハイマーではなく

脳挫傷で、言葉を沢山失うことになるなんて考えてもいなかった…



つづく…

おばあちゃんはアルツハイマー(3)



夏空が広がっていた。


出産予定日、一ヶ月前ともなると何をしていても汗がしたたり落ちてきた。





腑に落ちない顔をしているおばあちゃんを、あれこれと説得して、脳外科へ連れて行った。待合室で順番を待っていると、動きすぎたせいかお腹の張リを強く感じた。

”いい子だから…まだ、産まれないでね”




まだ見ぬ我が子にお願いをしながら、安心させる為におばあちゃんへ声をかけ続けていた。一通りの検査が済み、どれぐらい経っただろうか?診察室から名前を呼ばれ、おばあちゃんと先生の待つ部屋へ向かった。



看護師さんが、おばあちゃんの後を歩く私に声をかけてきた。
『おばあちゃん、大丈夫でしょうか?』思わず聞いた私に、看護師さんが言った。


『おばあちゃんのことより、あなた大丈夫なの?今にも生まれそうじゃない!気を付けてね…』心配そうに、私のお腹に触れてくれた看護師さんの言葉にこみ上げてきた涙を喉の奥へと押しやりながら、私はぺこりと会釈して、診察室のおばあちゃんの後ろに立ち先生の話を聞いた。 


『脳の断面図を見ていただくとわかりますが…』



テレビドラマのワンシーンの様に、おばあちゃんはアルツハイマーだと先生から説明を受けた。そして、糖尿病で薬が必要だという事も説明を受けた。



おばあちゃんは、泣いてはいなかった。

泣かないままに先生に、長生きがしたいと話していた…



帰り道、見上げた夕焼けの夏空

ふと今でも思い出すことがある…



その日から、あんなに大好きだったビールも、甘いお菓子も
家族に隠れて吸っていた少しのタバコも、おばあちゃんはスッパリと辞めた。



おばあちゃんの『生きたい』という気持ちがどれほど強かったのか…
おばあちゃんの認知症の進行過程で、大好きなことを全て諦めるのはどれほど辛かったか



介護士になってみて分かったことが沢山ある。



分かればわかるほど、知ればしるほど胸が締め付けられる思いでいっぱいになる…



あまり外に外出しなくなっていくおばあちゃんと、大きなお腹の私は
一日に一回、散歩に行くくらいしか接点がなかった…里帰りしていて、せっかく一緒に過ごせる時間なのに、その頃の私は、おばあちゃんとどう接したらいいのか全く分かっていなかった。



父は、自分の母親の変化に目も合わせられなくなっていた。
母は、認知症のおばあちゃんを怖がっていた…




『ねえ、さあちゃん』



出産が近づき、お腹の張りがどんどん酷くなっていった私は、セミの声を聞きながら
扇風機しかない実家のお座敷で、汗をかきながら半日以上を布団の中で過ごしていた。


『ねえ、さあちゃん』おばあちゃんは、時々私が妊娠していることを忘れているみたいに部屋に来ては、昔話をしていた。





夏の空の下…セミの声が響く空気の中を駆け抜ける様に、

おばあちゃんのアルツハイマーは、確実に進行していった。



つづく…