おばあちゃんはアルツハイマー(3)
夏空が広がっていた。
出産予定日、一ヶ月前ともなると何をしていても汗がしたたり落ちてきた。
腑に落ちない顔をしているおばあちゃんを、あれこれと説得して、脳外科へ連れて行った。待合室で順番を待っていると、動きすぎたせいかお腹の張リを強く感じた。
”いい子だから…まだ、産まれないでね”
まだ見ぬ我が子にお願いをしながら、安心させる為におばあちゃんへ声をかけ続けていた。一通りの検査が済み、どれぐらい経っただろうか?診察室から名前を呼ばれ、おばあちゃんと先生の待つ部屋へ向かった。
看護師さんが、おばあちゃんの後を歩く私に声をかけてきた。
『おばあちゃん、大丈夫でしょうか?』思わず聞いた私に、看護師さんが言った。
『おばあちゃんのことより、あなた大丈夫なの?今にも生まれそうじゃない!気を付けてね…』心配そうに、私のお腹に触れてくれた看護師さんの言葉にこみ上げてきた涙を喉の奥へと押しやりながら、私はぺこりと会釈して、診察室のおばあちゃんの後ろに立ち先生の話を聞いた。
『脳の断面図を見ていただくとわかりますが…』
テレビドラマのワンシーンの様に、おばあちゃんはアルツハイマーだと先生から説明を受けた。そして、糖尿病で薬が必要だという事も説明を受けた。
おばあちゃんは、泣いてはいなかった。
泣かないままに先生に、長生きがしたいと話していた…
帰り道、見上げた夕焼けの夏空を
ふと今でも思い出すことがある…
その日から、あんなに大好きだったビールも、甘いお菓子も
家族に隠れて吸っていた少しのタバコも、おばあちゃんはスッパリと辞めた。
おばあちゃんの『生きたい』という気持ちがどれほど強かったのか…
おばあちゃんの認知症の進行過程で、大好きなことを全て諦めるのはどれほど辛かったか
介護士になってみて分かったことが沢山ある。
分かればわかるほど、知ればしるほど胸が締め付けられる思いでいっぱいになる…
あまり外に外出しなくなっていくおばあちゃんと、大きなお腹の私は
一日に一回、散歩に行くくらいしか接点がなかった…里帰りしていて、せっかく一緒に過ごせる時間なのに、その頃の私は、おばあちゃんとどう接したらいいのか全く分かっていなかった。
父は、自分の母親の変化に目も合わせられなくなっていた。
母は、認知症のおばあちゃんを怖がっていた…
『ねえ、さあちゃん』
出産が近づき、お腹の張りがどんどん酷くなっていった私は、セミの声を聞きながら
扇風機しかない実家のお座敷で、汗をかきながら半日以上を布団の中で過ごしていた。
『ねえ、さあちゃん』おばあちゃんは、時々私が妊娠していることを忘れているみたいに部屋に来ては、昔話をしていた。
夏の空の下…セミの声が響く空気の中を駆け抜ける様に、
おばあちゃんのアルツハイマーは、確実に進行していった。
つづく…